厳選!路傍遺産を詩と写真と地図で紹介


矢倉緑地 海岸
「突端の潮溜まり」
神崎川の舌の先は渚である。 淀川は足に防潮堤を履いている。 二つを逆に言うてみても同じである。 (この岬は人口なので、「岬巡りのバスは走る・・・悲しみ深く胸に沈めたら・・・」という感傷に浸るような所ではない) (渚のバルコニーも見あたらん) 再び内面世界へ飛ぶ。 二つの流れは根に変容して湾の紺青?の海で一つに繋がってる。 その湾の深い底で、避け難い死に襲われて絶望した人々、 昨日おぼれた人も、沈んだ遣唐使船の人も、海に投げ込まれた海賊も、戦闘機乗りも、カーネル・サンダースも 地上のヒソヒソ虫たちの鳴声に耳そば立てているのかも。 時も水もみんな歩くスピードで流れてきたことを知っているのかも。 流人の島でインターネットの海に釣糸を垂れている。 思索の日々、浮沈に悶着することなど一切無い、 徒然なるまま、右から左へ・・・うけながす・・・ 潮溜りのテリトリーを自らの唯一帰る場所と受容しながら 元々貧弱な左脳がダメになることを自覚していても 生きている実感に忠実でいようとする小動物の群れ。 never mind、 イミテーションではない。 本物、本源的存在であることをエッセイで語れ。 ムリムリ、脱出し難い未熟さ故。 我にかえる。 眺めだけでは心に潮は満ちて来ないから、 宇宙の作品である自然海浜のオマージュとしての岩場の庭のテラスで、 豊かな潮通しに暮らす水底のヒソヒソ虫たちの鳴声を拾い集めて歩いてた。

「緑地周辺」
滑稽にも実験的構造物は完成を待たずして破壊の波に削岩され始める。 無機物には浄化作用も無く、弾力に弾んだり再生に身を奮わせる未来は無いが、 命は違う。荒磯の潮だまりに取残された小さな命たちも、今、動くだけの生息エネルギーをもっているのだから不滅のチャンスのあることを捨ててはいない。 人間も自然を創造する野望や憧れを捨て切れない。

「突端の高台から」
阪神高速湾岸線が見えるパノラマ。 高い極楽から此の世のファンタジアを見渡す。 濃厚な彩色を無限の天蓋が包み込んでる。 虚飾は失われて結晶だけが時間軸に沿って灰色の粒子の写実と化す。 存在の大部分は水か。 そして眼球にある不動の水が 回る空間をそのキャンパスに止めている。

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