小説というよりも一人芝居というか、
  「一人紀行・・・奇行エッセイ」という体裁。

セリフがあるのは主人公のOsakaおじん 
 のみです。他は皆、
 沈黙と喧騒の遥かな狭間に漂う在りか無しかの
 観念的存在として登場して来ます。

(大阪のどの辺りか)




 



    「Osakaおじんの川流れ」

 第1章 京橋・大阪城

毛馬の閘門(こうもん)をくぐり抜けると一粒だけ安堵の泡を吐いた。

(毛馬の閘門)


此処の水門の水塊は口腔へ押し上げられなだれ出る、
微細な濡れた雲母の幾重ものかさなりが
丸い大きい水盤の泉となって金箔のように限りなく延び広がり
勢いは何処までも止まる事が無いように思われ恐ろしかったのだ。
この毛馬に到るまでの淀川の河川敷はなんと広大・肥沃であったことか。
芦原(ヨシハラ)とススキの原が視界を覆い尽くし、 
河岸に続く瑞々しい緑の群落、菜の花、花菖蒲、うめ、ソメイヨシノ、
つばき、トウカエデ、ヒマラヤスギの森も育んでいた。
ワンドって日本にある自然をそう呼んでた、イタセンパラやアユモドキとか生息、
ツユクサの下の命は冬眠から無事に覚醒できただろうか。
淀川パノラマの主役である目を瞠るほど巨大な吊橋にも遭遇した、
吊橋の天を衝くハーブの弦をつたって吹き降ろしてきた強風。
幾千米も広がって遡上する河風もまた集まり起って橋上へ登って超えて疾駆。
そんな風に巻き込まれながらも何んとか橋を置き去りに
河土手の上に佇む余裕もないまま
やっとこ淀川本流を下り切ることができたってことか。


源八(げんぱち)さんへの届けものを汚れた脇にしっかり挟んで、
水面の先のゆれる河岸の様子を窺いながら片方の腕で黒く重たい水を再びかいた。
流れは深い淵へと誘うかのように水晶の豪奢な輝きをこちらに送ってくる。
旧淀川と白いペンキの縦看板にはっきり記されてある。
江戸時代に京・ナニワの水運の役をになった淀川というのは
今浮いてるこの大川という流れであったとは。
楽に上陸できそうな岸辺も無い、
ここはさっさと先へ進めばいいんだ。
どうせ毛馬橋(けまばし)、春風橋とか飛翔橋とか名前だけはおもしろそう、
周辺の公園は作り物、眺める価値もない。
源八渡しまで一挙に泳げばいい。

でも、ここからはナニワのド真ん中へ、
怪異な世界の荒唐無稽な住人たちとの出会いが待っている・・・。


長い一人旅の果てに言葉を失った。
歌うように伝えたいトントントン、トントントン。
運転免許を持ってないことを殊更に侮蔑するバカ女がおったんですよ〜。
な〜に〜〜、 男は黙ってリヤカー!
歩くスピードで生きていくさ、トントントン、トントントン。
過去は今に反撥する力となるし、苛酷だろうが甘味だろうが
バカ女の記憶はこうして波をかく力となってる。

大阪の川はただの死んだ運河である、と思っていたが、
錆び色の難破船のような砂利運搬船の突進を運良くかわして、
ちゃんと生きてるんやと思い直したり、
途中、公園カラオケの暇そうな連中の嬌声に送られたり、
チャリンコのオバはんに声かけられたな
井上陽水のリッバー・サイドやな。
各種の妖しげな団体とか・・・
高級マンション、弱点、恥じない自尊心、
無い人はライオンズのグループには参加できませんか、
一服入れとこか・・・タバコ吸いは弱点、
弱点無いと上位グループに入れてもらえなかったりするんかな。
3階建ての一戸建てはここいらには無い。マンション、マンション群。
三界に家無しの借り間暮らしとは違う精神生活を営んでおられるらしい。
アマメ(ゴキブリ)を殺さない優しさ、
セミやアリは踏み殺してしまう。
ゴキブリの白い膿み・・・とても汚らしくて踏むこともためらう。
そんなこんなに出会いながら、
咲き盛る花畑の土のフトンに寝そべって
澄みきった深い空の底を覗き込んだときの思い出に浸りつつ
水面に河岸の緑揺れる太陽の連鎖を見上げながら
潜航して水底からシャッターをきってみる。
内側の壁を撮ってみた。
体の内側から撮ってみた。
屈折する光で貼り絵のように固定されてるのがわかった。
はるかな宇宙は浄化されている。
そして宇宙人の目で青空と供に散見すれば世界は膨脹して
隙間を埋める億千万粒子が心に満ちて汚されること無く前進する力となったのだ。




源八さんのこと。
死ぬも生きるも なぁお前、水の流れに何変わろ、
俺もお前も淀川の川の船頭で暮らそうよ。
(「船頭小唄」より)

 

天の河原の端っこのホッタテ小屋の
すすけた板屋根の破れ目も満天の星々にふさがれて、
須弥山の頂きにかかる月光の影をかぶってやすむ夫婦は、
河原の蓮華座の上の石の地蔵菩薩の奏でる川音に耳をすませている。
俺が死んだら〜お前も死〜ね〜と。
(明治・大正 人は死んでも命があると信じてたから)
空の川、風の川、緑の川、石の川、川の神さん、
明日も渡しらをお守りください。

届けものを脇の下から引っ張り出した。
それは薄汚れた白蝋燭の崩れた一塊で、
焦げた芯が濡れた頭を少しだけ出している。
これを見た源八は何も言わず、
ふるえる涙目は銀橋のたもとの水底にゆれる月光玉となり
崩壊し、ただただ泣いた。


記憶の扉がはからずも開け放たれ、しばし時間は逆流する。
昔、「おかず」というものは贅沢、豪華な響きであったように記憶しているが、
今は、そうざい、パック、値下げ、おつとめ品、全く低級下品のていたらく語である。
ポパイさえ不潔マンガ、ラッシーもおやすみキッス
海の若大将も子供連れ家族で映画館の暗闇にギリギリ退治される青大将に安堵、
欲望の沼、ローズマリーの赤ちゃんは言葉だけで激烈とされ忌み嫌われた。
ただロミオとジュリエットは中学校推薦だったなんて
源八に会った後、子供時分の事を思い出しつつ
気が付けばシダやバショウの茂る庭に迷い込んだ。
庭の空間美を構成するものは石橋、中ノ島、池、滝、自然石、苔、植木、そして花、
硬いツルをもった鉄線の花が咲いてる。
此処、藤田邸跡の見どころは昔のまま放置されたように残されている大きな築山。
木組みの渡り橋や階段を右、左とアスレティック的に勇んで分け入ったが、
小さなテーマ・パークのジャングル・ゾーンのような木々のトンネルを手探りに進むうち
古代の深淵な森に迷い込んでしまった不思議感にとらわれてしまった。
崖のような滝石組を眼前にして板道の行き止まりとなる。
足下は湿泥と苔岩と闇に浮かぶ濃い緑に支えられている。
重なり交差しあう黒い幹や枝々にステンド・ガラスの明るさの陽光は絡み付いて
ひっそりと無数の動かぬ葉っぱさえ匂い包んでくる。


今年の夏は暑い。
7年周期、11年周期の素数蝉の戦略は競争回避。
自然淘汰の難を逃れて生き残る確率を上げる素数的生き方。
猛暑でゴキブリやセミが巨大化。セメント・ブロックではなく、
雨の凍み込まぬ丸石と丸石の重なる奥の隙間にその亡骸を差し入れてやった。
セメントの蓋か、セメントのフタの下のとび頭セミは汗をかいている。
自分の死後、世界がどんなんかな〜と
幽霊は怖いが神様は信じな〜いと
沈黙の夏、
土蔵の漆喰壁も精霊が宿る森も消えてゆく
あなたの詩は火薬、花火になるか、砲弾になるか
六根清浄、悟りへの杖、富士登山、夏も逝った、
いたずらに巻き上がる風砂、川のクサトリ、スズメが喜んでる。
ムクドリは寝蔵の下にフンを落とさないだから、
罪人でも悪い人とは限らないよ。
木の間から陽粉がこぼれ落ち水の湿りが少しあれば樹木の下に命があふれることは百も承知。
炎天下のカエルのヒモノになりたくなかったらベンチの下へ。
黒い胴と赤い実の丸頭だけの毛虫の大群が枝先まで千本蝋燭のように立ち並ぶ、
その全てが一斉に踊るように震え出すと一本の木全部が
死におびえ怒るガス室の集団の慙愧の唸りの鳴塊へと化してゆく。






ツイン・タワーの鐘楼に篭り暮らす双子の娘、マンナとカンナ。
善悪の壁に囲われた此処が居場所とロウ人形の微笑で迎えてくれた。
食べたい料理が二つ、見たい番組が二つ、必ず二つないと不幸に感じてしまう。
肉体と精神の鍛錬、理性と感情、牽引と反駁のように宿命的矛盾と対立の中にある二つ。
晴天ならタワーを抜け出してメタルブルーのガラスの衣装を閃かせながら
お城の堀端の林道をフカフカ歴史の朽ちた土布団の上で散歩する。
追い駆けっこなどして大はしゃぎ。淀君、淀君、待ちんなまし。
今日は梅林であそびましょうね。
梅毒注意なんて大声で言って通行人たちの品粛を買っている。
今宵、梅祭り。
あの約束は忘却の淵に沈んだ夢だったのかと、
匂ひおこせよ梅の花の句に惹かれて、春な忘れそと集まる人々によって、
春まだ浅きあの頃、薄日の地味な梅まつりが、
石垣と堀にひっそりと抱かれた覇王の庭で
色鮮やかに銀河の星祭りの如き絢爛さでございました。
そうや そうや と二人同時に声上げて
えっちゅういのガラシャ夫人もお誘いしましょうか・・・
いえ いえ と二人同時に声上げて
また おとこしドモの騒動の元になってもお困りでしょうから。
ところで100年前のあの少年は今頃どうしてるでしょう?
とても強力な魔除けの御守りをあげましたから・・・
いつしか少年の周りから友人、家族まで誰も居なくなり
ついには孤独のあまりもっと孤独になりたいと旅に出ましたよ。
世の中が一日の疲労に潰れて寝入る頃、二つの瞳の涙腺は崩壊する。
感嘆の声を上げて鉱物の残像を主観の内に守護しながら、
信念か信仰の精神世界の高みにまで自らを昇華させてしまえば、
響き合う想いに浸る魔法をガンガン使い、幼児たちをそそのかし学芸会よろしく舞い踊る。
鉢植えの土に埋めてしまえるような三次元の舞い。
舞うのは女体や性欲ではない。味の無い外側の空気の肌が陽炎に揺れるのみ。
幼すぎる夭折のせいか。
奔放な愛に、それとも悶々として、ただ逞(たくま)しくなりたいと願うか。
美人−貧困−ワテの股座(マタグラ)に住む魔物のせいか。
哀しくも美しいマゾヒズムと官能の果てに内面凝視は続くが
女の心は単調さにも疲労しない
・・・24時間 ipodとか 音楽聴いても飽きることがない。
毎日でも同じ食べ物を食べ続ける
真っ赤なゆるいブルマーをバストのアンダーまで上げてはいている、
真っ白い体操服の脇と胸元のあたりはゆったりとして
幾つも打ち寄せる波の如く弛んでいる、
腕の肘から先が延びて石灰質のサンゴが紺碧色のインクに溶ける銀河か
散りばめらたように瑞々しく妖しくランダムに回転、揺れて誘うフェチシズム。
スリム・ウォークの似合う脚についても・・・ヤメトコ。
・・・明朝も寝覚めが悪かろう・・・。




難攻不落の大阪城、大阪城を作ったのは?答え=大工さん。
なにわの夢もまた夢、つゆと消えゆくとは信長やな?
大阪城を作ったのは誰、答え=秀吉を見たことある大工。
八百八橋って幾つ、答え=よ〜け。
御堂筋、地下鉄、大阪港の建設など近代大阪の飛躍に多大な功績を残されたのは?
答え=第七代大阪市長・関一(せき・はじめ)さん。「大大阪」の構築のために苦闘されたぞ。
エライ人だったらしいがそない知らんので悪戯に称揚し過ぎてもどうかということで、
お堀でウナギ養殖、柄杓で水を満たす仕事をしてるというお方に出会う。
体は冷え切っても心は熱く、立って半畳、寝て1畳のその日暮しらしい。
喰う寝る処に住む処、ポンポコピーのぴー助と名乗って、
時には鰻を堀の底の岩の隙間のトンネルから川まで逃がしてやって
放生の功得も積みながら働いてるとゆ〜てたよい。

それにしても大阪城の守りの石垣のりっぱなことよ。
石は意思に通じる。石を積んで橋を架けて城壁を築いて
自らの遺志・・・歳月はとうとうと河のように流れ、木組みは朽ち、
堀の石積みは累々と彼方まで続いて、風に鳴り雨にうたれる。
河童はいない。
ワレ〜って誰やねん?河内の国からやって来たという大鯉か、
ずっと南の大和川から土管を這い上がって
幾つも八百も橋をくぐって北北西へ進路をとって辿り着いたと言う・・・が
実は大和川から分岐する長瀬川がガンバッて北進、第二寝屋川に横から衝突して
ここいらまで通じてるぞ!・・・ホンマか。



その長い時間も、人間は必ず奪い合う、パイの七等分ずつなんて
とんでもなく不可能な話しさ、
狡猾な三つ牙のフォークと欲望という名のナイフが何本も
パイを不可思議リーマン個に切り刻むんだと。
さぁ〜手に持ってるだけでは放棄と同じ。
口にくわえとかんアカ〜ん!そうせにゃ横からかっさらわれるぞ。
法律や数字に疎いが故に総論賛成・各論反対とオダイモクを唱えて
既得権益を守るためだけに古色蒼然たる反論に走る。
どんな料簡か知らないが自滅へのカウント・ダウンの鐘を
自ら鳴らすという蛮行愚行の果てに、
ひねた聖人君子のぬいぐるみを着てやましいところは無いと宣誓しつつ登場する。
みんな役者やなぁ〜


一体なんなんだお前は?知りたけりゃ耳を澄ませ
環状線の電車の呼吸が此処まで聞こえてくるだろうが、そしたら空は曇りさ。
お前もガンバレヨ、神を信じれば、罪の意識が持てるようになるものさ
幸せか。どんな?言葉では言い表せないような。
固執するなチャンネル替えろ。切り捨てる快感。
会社で偉いさんが契約だと怒鳴りつけるように。
疲れてると長風呂ができなくなるだろう。暇な御隠居の長風呂じゃない。
乞食、三っ日やったらやめられない。俺は日本一 二番は?
神出鬼没ですまん。
氷漬け、背負う苦痛、凍傷、どれもこれも受容しよう。どんな抑圧も。  
自らを追い込んで作り出したとんでもなく暗い境涯をひたすら忍従して
自らをも他者と思いつ、時の経過のみ望みつつ変えぬ性分のまま
何もやり終うせた成果など無くとも生き続けることができればそれでいいと。
無為徒食の日々のくせに、手を上げて地下鉄を止めてみせたり・・・
人をねめつける技巧のみ身に付けて、ジキルとハイドつまり二重人格。
鏡の男は片目を閉じてタバコを吸っていると同じだけど左目か、右と逆なのに自分自身。
それにしても家賃下がらん。礼金・敷金・仲介手数料、何?
不労所得ってキャピタル・ゲインとか、不動産屋もグルかいな。
新築マンション多いし供給過剰を支え合う構造悪ではなかろうか。
街を捨てて自然に囲まれた土地で農家を改築してスローライフなんて・・・
・・・やっぱ大変だろう。スローは飽きてイラつくだろう、ひもじいかもよ。
ロハスな生活、イノセントな日々とか言い換えたりしても。

大阪城の周りを漠然と二回りほどもして時間を無駄食いしてしまった。
大川へ戻らなきゃならん。
高層ビルディング群の屹立する碧水の柱の如き藍の煌めき。
天上から提がる藍の幕。かのキュービズムの巨大化か物質化。
青々としたガラスのピュアーなキャンバスに映えるキュービック・シャトーは
かのピレネーの城の如くアクア・シティーの沈黙の波頭の上空に浮いている。
その視野一杯迫る絵画のモチーフが現実に対する無意識を閃きの結実する幻想の湧沸点へと導く。
城にも光背がある。神さんが居るならば降りて手頃な岩と見誤って上に座るかも知れん。
片町橋のたもとの遊歩道でハクモクレンの木とスズメの鳴る木に戯れて
大阪城のお堀周辺から中之島公園辺りをジョギングする人や
歴史史跡を辿ったり緑の風景の中を散策する人を見かけたが
にぎわう桜の並木道も春の一時だけのこと、
この辺りでは住民とか人の暮らす生活感とかは極めて希薄である。
銀橋も今はかの名高い安藤忠雄さんによる新銀橋の交通喧騒、
都会の政治・経済活動のただ中に在るが・・・一群れの柳と芝の陰を潜り
日常のインフラとしての動線の役割とは縁の無い大阪橋を潜って
一級河川寝屋川の意味も無い欲望の水の勢いに押し出されて
ビジネス・パーク沿いの水の人工リンクを波も立てず
お京はん電車が飛翔する鉄橋の橋脚の咽喉を滑りくだった。





 第2章 道頓堀へ道草


おっと、ドウトンボリ見て来!
「大川」から、流れの無い川、「東横堀川」を自力走行、南へミナミへ。

高速道路高架下の水のトンネルをひたすら南下。
「東横堀川」の川端や堀端の日陰には柳の並木がよく似合ってる。
葭屋橋(よしやばし)から中之島公園を眺める。
川の西岸はひっそりと低く東横堀川緑地公園となっている。
農民が耕作に通った橋とかいう農人橋。
船場センター街、堺筋本町の東、川やなぎ、高速交差がでかい高い、
松屋町筋近く、
着流しの腰付きのように水辺でゆれる川ヤナギが古い商いの町屋の情趣をそそって来る。
道頓堀川の源流へ到着!ここから西向いて最前線へ上陸。


安井道頓の碑にご挨拶して、
太左衛門橋のたもとで、たこやきを立ち食い闊歩する・・・言うこと無し。
違和感ある真っ黄色の観覧車、
無料案内所、
かの有名な戎橋、
くいだおれ〜etc.,カニ道楽、たよし、串かつダルマ、
ここいらは言葉や写真では伝えきれません。御自分の目で実際に見に来てください。
元々、道頓堀は芝居小屋の町で、浪花座、中座、角座、旭日座、弁天座の五座が
建ち並びエンタテインメントのメッカとしてきらびやかに看板、万国旗、ビラで飾りたてられていた。
ただその頃は、庶民の娯楽・演芸という明確なアイデンティティがあった。
戦後そして現在、それら五座はもうありません。
(二丁目劇場も今はもう無いよ)
(松竹座が西の端でひっそり歌舞伎の櫓を上げている)
地獄の華、天国の門、奇怪な踊る都、異国や他の惑星にやって来たような、
舞い踊るハリボテたちが阿鼻叫喚の有様です。
カニもフグも悪魔の商人、自分さえ幸せなら、
ろくでもないが、玉石混交のすばらしい世界・・・その不透明感。
これぞ最終決戦アルハゲドンの開演の幕開け。
慈愛の欠片も無い飢餓空間は押し潰されながらも無数の多面体を固持している。
谷になだれ落ち込む左右の巨大看板の岩壁の裏から
歪曲とその加速する旋風に動揺するドラム音が
渦を巻いて川原の危うい健脚コースの路へ泡出され
喧騒の管の中を粒子となった群集の渋滞は
まるごとスタックへプッシュ、
ポップアップのピストン運動を余儀なくされ続ける。
貧乏神が神の子として子羊たちをかばい立ちはだかるところ、
飢餓街道の無頼の宿場、カオスの大腸菌O373が羽ばたくメイン・ストリート、
お菓子の家、あふれかえるオモチャの森、田舎育ちの子供たちは落ち着かない。
黄金の瀑布、満天のネオンを見上げて物珍しさに集った田舎者の親たちは
口をアングリ空いて制覇されしカカシと成る。
この惑星では、欲望を憎む者は孤立するしかない・・・。
ここに滞留する暗黒エネルギーは品行方正なる人物まで
恥知らずなことを正当化する小さな沢の同類の肥った毛虫に変身させる程おそろしい。
人の身もなくたむろするストリート・ダンサー、ラッパー風の若者たちも多いな〜 
明日のことから先のことは考えとらんらしい、みんな囚われとることに気付いてない。
ウルサイな〜の意味か、〜だってウザイやんか〜って、無頼漢どもはイラッとくるらしい。
お返しに妖しげな詞をあいつ等に向かって聞かしたろ、
ABCD、エービーシーリー、ブタの尻、カニがチ○ポを挟んだ〜
い〜たかやっか、はなさんか〜
はなすもんか、よかチ○チン、伝家の宝刀やさかい、どゃさっと。
ついでや、も一個唄おたろ。
デンデラリューナラ、デカケルバッテン、デンデラリューガ、デテコラレンケン、
コンコラレンケン、デラレラレンケン、コーン コーン。
でもな失うものも無い奴らには勝てんよ、かかわらず、々。
君子危うきに近寄らず・・・。
世の中見えとらんね。暗い自然水槽の石の陰から眺める景色がすべての若者たちは
今置かれてる境遇に疑問をいだき失念に囚われ、水圧・温度の変わらない世界に居候し続けられるか不安に苛まれている。
自分の方が別の世界から訪れた何者かであるのだから、
明日のことよりもっと先のことが気になる年頃でもあるので、
いざこざは御免こうむり、この辺りは早く立ち去りましょうか・・・。
どう解釈しようもないが、
だいぶ前、断絶って流行ったけど最近は違うな、
多様化とか、不連続の美学とか、協調の虚とか、
同じ意味か知れんけど世の中も進化してるんやろ。
一般人に試練を課さない平和な時代、避けがたい苦悩や他力に翻弄されない今頃の世相が
こんな慈愛のかけらも無い、透明な過去しか持たぬ若者たちの放し飼いを許容してしまってる。
政治ストレス、国家ストレス、せまりくる死と向き合うストレス、黒を白と言わされるストレス、
緊張や葛藤の無い社会で日本国にこんな21世紀は無くてもよかったか知れん・・・試練と知れんと掛けとこ。

宗右衛門町、夫婦善哉、通天閣も此処から近いけど
川流れというタイトルに従ういじょうは川の傍からあまり離れるわけにはいかない。
離れなくてもハルカス見える・・・ハルカスからなら山高ければ裾広しの意味ワカルやろか。
自分の戯れより川流れの宿世に重きを置かなければならない。
長崎チャンポン屋(中央軒)はあるのか、西に空は山はあるのか、
振り仰いでトンビは飛んでないかと・・・とび色の羽色さえ思いだした。
道頓堀川の風に吹かれながら進めば、
ベニスのような珈琲艦「キャビン」深里橋のたもとを廻って
湊町リバープレースの広場へ,ここは・・・
漫才師の玉子たちのトレーニング場,夢は芸人、たゆまない努力を披露して
笑いのクツしか持たないシンデレラとなれよ。
人気や銭に陶酔したいなら真剣に天を仰げ、
屋根に登って星空に物干し竿を振りまくれ、
甘い雲も贅沢な星の光もコンビで掴み獲れ。
無事ついでに、
幸橋(さいわいばし)を渡って、ここまで来ると「大阪ドーム」も見えてくるぞ。
おっ、水門か
道頓堀川の終点です。
華のなにわの濃密な唾液の様な水運の寿命の尽きる所だ。
道草もここまで・・・と言わずとも、
30年以上も家路を忘れた道草の途上に居るのかも。
さあ、天満まで戻ろかと水道管の破れ目から身をこじ入れた。
ガス菅や光ファイバー菅や銅線なんぞに絡まんように、気〜付けなはれや。
菅の中はリニアモーターで何もしなくても泳がなくても天満迄一飛びに・・・
どっか寄る?でもな〜
クリスタ長堀知ってる?知ら〜ん。昔、長堀川言うて川やったて。
丼池(どぶいけ)知ってる?知っと〜。
商売やろ、男に騙されても、女にだまされたらあかんいうて。
商売繁盛でよ〜新町で芸鼓遊びしてはるんやて。
そやけど船場のしきたり守り〜や、
それが船場のぼんぼんやのうてぼんちいうもんだす。
船場のだんはん、喜久治とポン太、幾子、お福、比沙子、小りん。
船場のぼんちもコイはん・イトはん・ゴリョンさんも今はおらんし、
もうかりまっか獣の泥川の様な胎内から商ん奴(あきんど)小僧が生まれ、
その望む者どもの中から運・鈍・根の命の明暗を分けながら、
救済者たる銭の光りが、選ばれし者たちだけを下品で薄汚れた富の迷宮へと導きいれる処。
お御堂筋様はまた後ほどにして、
天神さんも天神祭りの頃ならギャル神輿観て興奮したいところ、
近松門左衛門の曽根崎心中、北新地もあこがれや、
高級歓楽街か、か、か、か、
酔っ払い相手の花屋・夜の蝶のドレス屋・曾根崎川跡碑・北新地案内板。
戦後、浪華のロクメイカンの厨房付き箱庭。
接待か金満か知らないが、下品な大阪セレブたちが闊歩する夜だけの街。
お金があれば生き方は自由に選べるが死に方は選べない・・・たかじん。
召使やコック、可憐な女給やマダムまで山川草木みんなが、
ムカゴのくせに自分はトレジャーだと詐称し合って遊ぶ街。
遺憾であるが永劫ではありえない街。
お金が無くても遊べる若者とかは見かけない街。
花の名前に詳しい植木屋、カクテルに詳しいバーテン、宇宙に詳しい占い師とかおる街。
既に50年か、その造作は狭い路に阻まれて四つん這いの老体、
くたびれかけて、近松心中の愛憎劇も女の悶えの匂いもしないただの歴史の肥やし、
北ノ新地も高いだけ斜陽族なんてのも昔のネオン。
あかん、あかん、
繁栄と虚像の摩天楼に囲まれしキタ迄到ら、中之島飛び超えてしまうやないか。
自分の愚かさに気づかぬ有頂天組は
今夜も貧しき場末の小屋でパーティがお似合いよ。
気づかぬフリの妙薬は腐った根性、類は類を呼ぶヤルセナスビ〜に
わらび〜もち、まいど〜どないだっか〜、・・・
少し前の大阪ではよう見られた光景にも出会われへんさかい。
眠ればいい、縦横高さ+時間で四次元らしい、
時間=距離%記憶、記憶は時間を旅して、たった40〜50年が海馬の裏表にある。
脳回路にもICメディアにも時間を記憶する仕掛は無かろう。
幾星霜の露を集めて今昔絡まり夢枕の谷になだれ落ちてゆく。











 第3章 天満から淀屋橋


中之島の尖った最東端の放水銃から再登場、
放物線の先で落ちて体は北側の堂島川と南側を流れる土佐堀川とへ分裂・・・
・・・分岐点に放水有り、汚れた川水も噴水にすると宝石のように輝いて見えるから良い良い。
ここ天満に八軒屋船着場跡の石碑がある。
弥次さん喜多さんが東海道を下って来て、さらに淀川を三十石舟でくだり、
この地へ着いたらしい。
また、石松もここから乗った三十石舟の上で、「すし喰いねェ〜」と大阪の押し寿司をふるまったとか。
ほかにも、幕末には坂本竜馬や西郷隆盛もここをよく利用したという話し。
ここより熊野古道への碑がある。「from Watanabenotsu to KumanoKodo」と碑に刻んである。
このあたりは渡辺の津と呼ばれていたとか(遣唐使の時代・・・) 大昔(鎌倉?)、
天満橋と難波橋の間くらいに渡辺橋というのがあったとか
日本の全てのワタナベ姓の名前の起源はこの地であるときいたことがある。
初夏、紀州街道へといかにも最近拵えた碑のある広場の生垣にはオウゴンマサキの葉っぱが一杯、
真っ黄色にいろづき、まさに黄金の輝きを見せてくれている。
天神橋(正式名てんしんはし)、難波(なにわ)橋(別名 ライオン橋)、
江戸も明治も幻も、なにわ橋を渡って上がれば天馬である。
また、なにわ橋から西へ淀川の湿地を跨いで尼崎まで続く大和田街道というのがあった・・・
今は淀川の護岸に遮られてその痕跡も途切れてる。
ところで天満を過ぎて浪花(なにわ)八百八橋のゴチャゴチャ開幕、


おっと、ハエトリ蜘蛛が不器用にビンの底に飼われている。
川に流す。残酷なら告白して懺悔しなさい。往生際悪い奴め。
荒波や風や騒音ともお別れ、
ビンの中の宇宙、その中を旅する。
ザリガニもペットボトルに入れよう。
魚と水草も入れてやればライフ(生命)・ボールになる。
生命は有機物から成るが有機物自体が生きているというわけではないと思うと・・・
山に登れば水虫踏んだ。カエルがピョンと出てお山に飛んだ。
それ見てカラスが笑ってた。
踏んだらペッタンコ〜 踏んだらペッタンコ〜 欽ちゃん不朽の名作。

バラ園、
百花繚乱風光明媚豪華絢爛菊絵巻、
何十年もシュンランと読んでた絢爛はケンランと読む。
たまゆらに見しバラ陰の恋人たちにも読み方を教えたい。
中之島公園 芝生。
・・・ 芝生の周りには、シャガ、フイリヤブラン、フッキソウ、ヒペリカムカリシナムの草々、
エノキの木、カンツバキ、ヒイラギナンテンなど多種の植樹がされています。
大阪は商人の町、その儲けがバラになる、橋になる、並木になる、石造りの建築になる。
難波橋(ライオン橋)の次に土佐堀川に架かる橋が栴檀(栴檀)の木橋、そのたもとに
重要文化財中之島中央公会堂、100万個の赤レンガをコテにモルタル塗って積み上げたのはどんな怪人か、
どろかぶらか、セムシのカシモドか、
天空に伸びる拘泥した高層マンションの懸崖に咲く一輪の花を愛する者か。
正直、飾らない、矜持も要る、つまり高潔の化粧を施すことに精魂使い果たして。
たれか哀れと思わざる。
隣に中之島図書館、かの住友様が寄付した図書館。
図書館の出入口は狭いメビウスの管。死人は内を廻れ、命ある者は外を歩め、
宇宙も思考も永遠回帰のメビウスであるらしい。
古今東西の理論派な賢者が輪廻思想を受容してそうゆうとる。
哲学的やな、文化、文化、文化と知恵の輪の耳にささやきかけてくる。
さすがこの辺りで、英語混じりの言葉をあやつる壷と出会う。
「やさしい」をtenderと強く発音するから此方はビビった。
ten thounds of 数え切れない程のflee talkを操る奴だ。
windビューラー(風のビューラー)を絶えず上げ下げしながら
気楽で洒脱な会話を誰に向けるともなく止めようとはしない。
mannaはwanna、kannaはgonna、mankoはマンコーシェン、
駄弁も弄する、すっとんきょうなツラをしてウンコしてくるから待っといてと
・・・we are the champion for my friend クィーン。
そんな尊大不遜なカリスマ壷との戦い。
noone knows someday, noone knows sometime.
負けた〜we will overcome somedayと負け惜しみをゆうてから、
tiesきずなのlandscape景色をながめて・・・。
インドの五大(ごだい)(地・水・火・風・空(くう))とも、
中国の五行(ごぎょう)(木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい))とも、 
万物をつくる五つの要素。
それは英語ではなく仏語だ、buddhismか、butahism、どうだ。
ここでブッダか!煩悩・・・ウ〜む賢者の言葉なら真理か、宗教を持ち出すとは精神主義者の常套手段か。
The Indian five components (hold it) () consuming ground,
 water, fire, wind, sky () とも,
Five (ごぎょう) of China (suck in), soil (ど),
 money (ごん), water (whether is tree (もく), fire ()) とも,
Five factors to make all things.
教えの杖に縋って冥想、
oh,my god.
宗教はまた奥深い対立・憎しみ・争い・利害対立を地上にもたらすもの・・・
迷走、
fool on the hill, end of さworld, No let me dow〜ン
show me, LAUGHハッハッハ。let me see, LAUGHハッハッハ。
じゅすい、いっひびん、タガのはずれた知識人。
we,he,she,me・・・なのにCan Iのアイだけは大文字なのは何故?
調べも訊きもしなかった半世紀、チョ〜ヨ、チョ〜ヨ、解けないうちはニッポン・チャチャチャ。


市役所、府庁やないで、府知事邸は大阪城の外堀の西近くやから。
逆に俯瞰的に高いところから一般市民からも何か監視されている御役所機構
巨大都市の大阪、高槻・堺も。
ドーナツ化は昔の話しで今は具盛りだくさんのピザ状態
端はぼやけて京都・神戸・奈良、三都通勤圏内。
だからか、府知事の関西一本化構想。もっとぼかしを。
景気対策−−週休2日に加えて半ドンの日を設けよう。
半ドンの午後は集団で活動してカネも使うやろ。
都市がゆらぐ。
元凶はゼロのゆらぎ、無能無策な者や、逆に完璧・トップの者にもゆらぎはある。
都市のゆらぎ、地震ではない。
宇宙の外から想像できないような兎にも角にも外から、
一挙に中心に向かって閃光となってゆらぎ流入。

堂島川沿いで一服、アカンアカン! ココは禁煙。
路上喫煙禁止地区です。タバコを路上で吸うと過料(1000円)が徴収されます。
一級河川「堂島川」。
開削された新淀川が造られた明治までは、この堂島川が淀川の本流であった。
その昔は川筋の両岸に花火見物や夕涼みなどの人々が集まり、庶民の憩いの場所だったらしい。
日本銀行 大阪支店、お〜鎮座する石のパルテノン。
今は世に亡き人も在る人も、あまた崇め奉りし国の宝を隠し守りたる神殿。
今は丁度、あるじ不在の茶番劇。近寄りすぎて、ガードマンに注意されるで〜
そんなのはひたすら無視。
人様に罪はありません。全て、金剛石の楼閣にはびこるコガネ虫がワルイ。
大阪の豪商、淀屋屋敷跡(淀屋橋由来)、江戸時代からの祟り、どこぞの野球場と同じ魔物住みしか。
日本の来し方、行く末もわからないまま厚い石壁に向かって呆立しておるしかないのでございます。

御堂筋へ見物に寄ろうか。
御堂筋銀杏並木は大阪市指定の名勝です。所有者は「国」です。
秋に色づく色気づくのかと早々と来すぎて待ちほ〜け、
冬まで待ってさ、
散ったイチョウの葉っぱは・・・
一点から葉茎のロウトの圧搾によって噴出する噴火の形、
それは宇宙の形に相似する。
すべからく各々の扇は2分されてる。
重力による法則的ひずみは安定を求めて2つに分裂するのか。
銀杏の葉っぱは生命活動の爆発的膨脹を想起させる形です。
紅葉して枯れる前に真新しい金貨のまま大判振る舞いに柔枝を辞して散り急ぐ満々の葉っぱ、
街路に舞う相似形の連鎖する自転模様を止めどもなく辺り一杯に描きまくる。
いっぺん御堂筋の銀杏の黄金フトンに埋もれて寝てみよか。
次郎を眠らせ、太郎も眠らせ、ギンナン臭いかな。
北御堂と南御堂の二つのお寺が並んでる。なんでも東本願寺、西本願寺分裂と関係ありそう。
浄土真宗やろ、突き詰めれば結局謎めいてる。だからお布施をすまし顔でいただける。
ゆうべには白骨となる無常、ああ無情の風やろか、人群れのざわめきの風か。
今は修行とか、船場のあきんども船場文化も残っとらん。
夢は枯れ野をかけめぐるの松尾芭蕉はこの地に没したらしい。
大谷派なんてなんか宗教のざわめきもするが、蓮如さんの母の曰くように
ただただ白い道を歩めとコヌカアメの降る前に広い御堂筋をキョロキョロ直進せよ。
六道より修羅の道を選びてゆけとは誰言うた?思い出せない雨の御堂筋、あ〜降る雨に・・・。

彫刻、オブジェが点々と続いてるらしい。
ふたたび冬を待てば、散ったイチョウの葉っぱは・・・凍える車道の傍に
背をもたれて頼りなく揺れて語らう。
街を黄色一色に染め上げた言の葉も雑踏に踏まれて、黒い跡だけを残した銀杏の影が
ひとけの無い休日の木枯らしに吹かれ混沌として戯れ続けている。
コンクリの壁だけに囲まれた部屋で少女像は丸い裸身から
ハシャギ過ぎた季節には溢れていたパワーを今は全く脱ぎ捨て、
替わりに辛抱強く怠惰な冬を纏って眠るのか。
都会の隙間の迷走する雑踏の中でも石であって石でない夢を見る少女像の吐息が聴こえてくる。
形象のパターンは有限であるらしい。一塊、そして複数のリングに収まるという。
石像は、天地や前後左右からさえも逃れられない呪縛を恨むこともなく、
街をゆく人々のしあわせだけを祈って、ただ無言で石の楽器を奏で続けてくれている。
たかが彫刻なのに、
猿よりは器用な連中の99%の数人・数ヶ月のフィジカルと
1%のめめしい魂の産物に過ぎない。
自然石から刻み開け放たれた命とは違いすぎる、
摩天楼やストリートの石材に魂が埋もってる筈もなし。
緑や石像も歳をとったら瓦解して川土手に舞い散った骨片や灰となる。
寝台に担ぎ揚げられた裸身のあなたたちは、
私にとっては対岸をゆく春の葬列のように
おぼろげな映像の中の遠い静寂でしかないのです。
がれきと化す筈。
それに較べて、あの川床の石ころなぞは何百年、
月の満ち欠け、影の伸縮に
昼夜転がされ濡らされ
まるで死と復活を繰り返す自然の摂理の結晶形として今も
そしてこれからもあそこに在り続ける、
肉をそぎおとし感情の部分は省き、生物からその生理的部分を消去すれば
石ころと平等になってしまい、
氷の中に芯を発見したときのように価値の重さを観ぜられるでしょう。






 第4章 中之島の果てる処まで

通勤中に白昼夢のような沈思の淵に踏み入ってしまってたたために
車にはねられて死んだと思う矮小男と会う、会社へ行かねばならん、
24成の迷宮から来たらしい。あ〜聞いたことある日本一最低の街、
あそこの交差点は日本一夏暑い冬寒い。
歩道橋の上で怒鳴りまくる。犬に抱きつく老婆、幻想でも狂人の発作でもない。
他が曇りならそこは雨、深海の底の闇に落ちる冷たい雨、
絶望の破れ戸から隙間風、そこに漂うションベン煙りに生える雨である。
ゾンビの街よ24成は。いろいろ不詳な者たちが群れ集う。
肺や胃が丈夫でないと街に殺される。口の周りを舐めるな、釜菌を採り込むな。
街に同質化してしまう。
何でオレたちの勤める会社は何十年も世の中のカスの吹き溜まりの町にあるんだ。
冬の寒い朝は30代そこそこのマネージャーどもは必ず遅刻してたよ。
一人で1人日、二人で3人日、・・・奴らこそ豊作貧乏のホウレンソウ奴郎、
プロレタリアートの風上にもおけん。命賭けで押せよ、タイムカード!
カラの荷を積んでチョロチョロ駆け回るだけのロバども。折檻したれ!
社員食堂メニューは、ナス、揚げ豆腐、鮭か豚の繰返し。そんなに料理が億劫か!
今は、所長、店長、マネージャーまで派遣社員、
30年勤めた正社員がリストラの犠牲者に。
上から目線の本性、下から目線でひたすら無視。
上位者の歯ぎしりはガマンという。会社の下位者のガマンをオシンという。
自分よりも落ちぶれ社員を探してまでも見下げる祝杯を手放さない外道ども。
顔出し音頭の踊り手ばかり、
薄ハゲの団地の自治会に毛の生えた程の組織戦略。
休日前に勝者の先取り、食いさしの皿を丸投げ、
計算高さでオツムもヒ〜トアップして地球温暖化を助長、
自分だけ涼しい空調の風の下にくつろいで、風さえ少しも譲ろうとはせず
月に一度の社長来館の日は朝から館内に空調効かせてこれぞ節電ブレーカーの
コントロールの妙技とて御太鼓持ちのしたり顔。
なに〜組織内正義を無視する気か。所詮法律では裁けない悪、一票の不平等に支えられた集団の罪、
未熟者か禁治産者の罪、愚か者なら無罪、バカは許せるが、
健賢美備なる卑劣こそ最悪ですよ。
全てマヤカシの硝子を散りばめた宝飾に一つだけホンマモンのダイヤの粒を
さりげなく嵌める酔狂を演じられる程の度量や愛嬌の持ち合わせなど期待されようもない連中。
休日明けに口入れ屋の袖の下、托鉢僧の大元締め。
食うことだけの犬猫並み、路の真ん中堂々と牛馬の如く垂れ流し行く。
会社にあるのは仕事じゃ、お前等の寝床じゃなか、釜奴らめ尼寺へゆけ〜。
リーダーシップとか、眼に見えないタイトルばかり掲げて、
 存在の証明されないものばかりを能力一覧に並べ立て、さも在るもののようにコール、コール繰返す。
 能力主義やなんてどの脳が言うてんのや、ベタベタ癒着の性格好嫌、しかも
 不誠実、無遠慮、不・・なんて裏の性格については暗黒物質ぐらい見えとらん。
 生まれながら強者弱者の分別を心得ていて救われへんで〜。
 お前等エ〜歳を屁こいてよ〜自分の人間ALLレベルを早〜気づけよ。
シゴトのために会社来てる人に人間性ウンヌンなんて自分がオロカ。
部署名の看板をなんぼ眺めたって仕事の詳細は文章にはなっておらんよ、
なんに打ち込んどるんじゃ、オメーらは・・・。
俺が、俺が、か。血統書か。そんなんあれば誰にも座れる椅子。その数不足。
沽券にかかわる、丁々発止の戦い、良心の呵責、破廉恥極まりない醜聞、術策を弄する、名状し難い醜聞。
そういう自分の本日の唯一の使命はお昼休みに宝クジを買いにゆくこと。
年を数えると伴に通う駅への道のりは、記憶の提げカバンの黒いビニール塗布がざらざらにかすれるスピードで短くなった。
でもでもでも行ってタイム・カードだけスリットしなきゃ、
なんと鷹揚な会社で、カレンダーも時計も要らないお勤めなら快適。
黒いカラのカバンを提げてさ〜朝の同じ時間の電車で出会う人々との関係は、
見てるだけ〜の愚かさか、観察することの図太さ、
たまたまの同じ運命棺桶に乗り合わせて
血族も友達も遠い景色にぼやけて見えた散歩路で
ジョギングか、大人か、ガキか見分けもままならない距離から
社会の人々とふれあう毎朝の通勤風景、
電車賃は経費で落とせるのだけれど。
昔、管理者の照る照る坊主を火だるまに燃やした労働組合は
今は雛壇に飾られてまま片付けもされない。
踊れと指図されても頑なに固持します。
研究費が給与だなどと、その給与は振込み。自由にならん。
ネコやな。じっくりじんわりやんわりと鈴を着けられたネコ。
それは自分のせい。自分で自分にごめんなさい、あなたの人生を変えてしまって
いえいえ道端に99999個落ちてましたよ自分の違う顔、どれも気に入らなかっただけです。
後悔してたら死んでも浮かばれんよ。
たそがれてる男の顔には一刷毛の怒りのはしり痕も一欠けらの悲の鱗片も無く落ち着いてる。
待て待て、人生が二度あるなら二度目はカメラマンか、登山家、
露と消ゆ、花園の夢も夢のまた夢うつつに。
死んだと思う男の話、その顛末はよくわかった。
警察来たで!官憲や!
翼があれば飛べる、たとえ1個の固体でも翼がある存在であれば逃げる必要もない。
でも翼のある運命が一度しかない人生だったとしたらつまらない。そんなんいらん。
だから、満願成就、無病息災、因果応報・・・四文字熟語を並べ立てて
当の本人は小市民の随想に過ぎないと主張しつつ、
心の洗浄が罪になるのか!!!
いちよう御上のなさることに間違いはございませんでしょうから、
暴君さまにゴメンちゃい!!!!!!!謙譲の金メダルをありがとうさようなら。

中之島緑道の彫刻たち、
「くもの椅子」「一対の座」「十魚架」「広場−鳩のいる風景」
「陽溜(ひだまり)」「TWO RING−空間の軌跡」「花の天女」「雲の詩」 
に心癒してくださいませませ。

このへんまで来ると川といってもショッパイ、な〜クラゲマン、
「悪しからず御容赦願上候、自分の透明な体を抱く男です。
捨てられたか、世捨て人とてこのヨワイでは他に望みもございませんので」
希少絶滅危惧種として生存権が守られておます
「おます」−「あります」 「あり」が「お」に変わる。
「ありがとう」は「おーきに」、「ありません」は「おまへん」。
〜(波線便利)を心の糧として
あいつには礼節の演技さえ見せとうない
生涯を賭けての求道、労働によって得られた自由は孤独、
味方は誰もおらん
思いどおりの損得にはならんよ
欺瞞にあって何んで冷静でいられようか
心の無い言葉、京のいけず、へつらい、作り笑いの巧みな皆様方にお褒め頂いても嬉しくない。
自由奔放と苛烈な生き様の対峙、それこそ「太陽がいっぱい」。

そのサル版、絵本を拾ったサル、 
自分とよく似た姿を発見
ほそい毛クズの玉まで理解しようとしたが
描かれた空も雲も草木も区別なくワカラン。
どんぐり!ならワカル、いやにデカイ。
水!さわる、ワカラン。
ワカル、ワカラン、ワカル、ワカラン、・・・。
のけものサルでも弱い奴とはケンカ、
ボスに厳粛に近づく。    
メガネ拾う話し、年老いたボスが掛ける、喜ぶ。

飼われてる羊の話しもしよう。
人間の子供たちとハシャギながら散歩する。
気づいていない。
お祭りの日の夕餉に火と油と香辛料にまみれて皿の上に乗ることを。
いつか来る日没の疎外のしじまに四脚で佇んだまま今は気づいていない。
あ〜悲しみの涙を禁じ得ません。
ちなみに牛豚は喰うけど羊は喰ったことないので自分は無罪。
もうひとつちなみにイスラムのお祭りに羊を形だけ2週間飼って後に食べるというのがあるらしい。

食えればいいと覚悟を決めても喰うは空なり、ア〜メン、ソーメン、冷やソーメン、
いんやチゴー、僕イケメン。バチアタりめ!
幸と不幸のテンビンのバランスの中心が自分ならなんとでもなると
最小不幸最大幸福、
矮小な者どもの如何なる恣意的行為や
如何なるシュプレヒ・コールに対しても
悉く都市の反応は沈黙です。
空に語る男  ・・・の葉をケイタイのようにして耳にあてている。
自分自身と他人との関係において完膚無きまでに打ちのめし合い、
鋭利な半信半疑に打たれる衝撃、理不尽にも黄泉の約束は虚偽、
横柄さがガマンならんとケイタイを偽善の墓場の草叢にほった。
牛乳瓶に一輪挿し、墓は此の世に居たあかしとか。
防潮堤のアリのように一種の義憤にかられた死の彷徨、
その負のスパイラルの果てに落ちて行きながら疑心暗鬼の果ての最後の出会い。
今は昔ありけりのオウナが言う。努力しなさい。氏より育ち。家柄や血筋よりも・・・。
オキナが言う。成長する幼木を飛び越え続けて段々高く飛べるように鍛えることだ。
社交ではないので正直に忌たんなく話しなさい、誰も怒らないし非難もしないし。
落胆も逃避も今となれば無意味だから。
苺は冬にも一杯ある。雪原で赤い薔薇を見たと言ったって嘘にはならんよ。
100年て長いか?70年も生きるとそんなに長い時間とも思われんけん。
泣きながら死ぬ人はおらんよ。でも、こわがらなくてもいいなんて言えやせん。
早く死にたいのも本心やけど、もう少しだけおもろいこと見物してみたいわな。
醤油(しょ〜ゆ〜)こと。
私らが出会った瞬間から会話の皿にルールなんか乗ってはいないのだから。

いえいえ、
梅田で30年、切符きりをしていました。
30年間続けたなんてゴリッパです。
いいえ、余裕ですと怪奇な自嘲。
余裕の雲玉の中心には緊張の核があります。
この核はツッパッたり揺れ動いたりして静止させることができません。
その核が形造ったのが自分ならぬ自分、
もう核は雲の中で見れませんが、
あの核から頻繁に逃げ隠れして来たものですから。
臆病じぁなくって、羞恥の核・・・。
でも国鉄職員って昭和戦後もエライもてはやされとったんでしょ・・・。
東名高速を自家用車のブルーバードで家族旅行してたの見ましたよ。
ハイ、そうです小さくドウモと口から吐いたら口臭〜い、
今では毒ガスおじんと揶揄されても否定するパワーもありません。
時間って、10年の時間は若い人と同じにおじんにもある。
時間は記憶ですから、老いれば記憶量も減少して、日が経つのも早くなる。
同じ時間に自分は止まっていたわけではない。
同じ周波数の振動だ。振幅の差か、時がデジタル化してただ歯抜けのひどい状態であったか。
障害児の娘とその母、毎朝 タクシーで30年間も・・・。
あんまりにも哀しい親娘の光景のことなので、
この事を微弱静電気ほどの無機質な温みも無い文字フォントの羅列に
変身させたくない気分です。
去来する思いの全てを言葉に表すこと能わずだからアレコレ書きません。
でも、もしかしたらとうの本人たちは目立たぬ暮らしの藁のぬくもりに包まれて
怨み、執着も無く安閑として、普段の暮しの勝利者となっている。
それこそエンジョイ・ライフなのかも。
なるほど屈託のない笑い声が聞こえています。
ただいつか介護されないと生きれない明日は要らないと言われたらと思うと。
あんたらは子おらへんから分かりまへんてか、
自分の子さえ良けりゃエエくせに。 


オトンが瀬戸大橋を作ったと島の少年の自慢。
100万トンの鉄骨、1兆円、頑丈・しなやか、足場、潮風、
鉄骨とボルトとコンクリ、ケーブルで吊り下げる。
むろん設計も監督もしてなかった。
云わずもなが土地も金も出したわけでもない。
ワタクシの父はモッコにセメント袋を五つも乗せて
海面をはるか下に覗き込む
乾いた無数の矮小な反射を明滅させる化粧板にしか見えない
その遥か上空を軍足で小刻みに渡し板を何千回も跳躍、
夢でも見た、銀鱗の海面に獲物を探し飛翔する鳥となり両眼をカッと見開いて。
と25年過ぎた今も誇らしく語る。

寅さん観てもう一度人生やり直したくなったなんてあまい。
愛する人を亡くすと以降、もがき苦しみの数ヶ月を経れば、
凡庸な人生もドラマ化してくる筈だから。
きっと主人公かシナリオ・ライターにあなたもなれるよ。
諦めてからが面白おかしい人生が書ける。大量得点差負けって。
人生に勝ち負けなかろうもん!小者なれど尊厳!そんげん話しやかね。
人生リレー、20、40、60、さあ!アンカー、リレーはアンカーが最高!
ラスト一周の鐘が鳴ってる、ああ耳は人並み、走れよ走れば、
躊躇、萎縮、逡巡しようが一瞬足りとも待ってくれない宇宙が神も仏も吹き飛ばす。
空蝉の身なれば生きる価値の低い自分の分まで苦楽を共にし長生きしてくださいと、
励ます老夫婦に言ってすぐ、目と口を閉じて魂を収めた災厄箱のフタを閉じた。
他人様の思い出語りは遠い昔話に聞こえるな〜
自分の想い出は全て近い、昨日のことにおもえるな〜。





おう、やっと夏をやり過ごした。
川の尽きるところ、海はまだ遠目にも見えない。
夏もゆき夜の帳の下りるように気付いたら今〜はも〜秋。
昨夜が中秋の月に照り染められたためか、
未明に薄く紅葉したイロハ紅葉、ハナミズキ、ヤマボウシ。
初冬には鮮血にまみれた膿み色となる桜並木に累々と埋める歪にまるまる落ち葉を
ハダシのスリッパで踏みしだき陽あたりを選びながら公園で安息の棲み家を探し歩いた。
日本人なら哀愁の味わいにひたりたい心を誰しも生来多少とも持ちあわせている筈。
しかし此処、一流ホテルの側の河岸にはホームレスの庵が無い。
花の生垣や覆いになる植木を税金で一杯に河岸は飾られている。
世知辛い時代の晩秋です。
背丈2メートルのヒマワリが首を降ろしたキリンの如く脚を開いて起ってる。
その鍋蓋のような大輪は地面をうつむく顔で睨んでる。
昨夜の驟雨の名残のコンクリ床の水溜りに秋の水色を探してるのか、
人間には解かる筈も無い壮絶な一生だったと大きな葉っぱを
弱った陽にせわしく揺らし続けている。
倒れたいのに身の固さがうらめしい、
早く枯れ木や草の覆いを・・・と考えたりしてるのかも。
翌朝にはアタマごともぎ盗られていたが、
きっとペットのハムスターの餌になれたとすれば幸いと喝采。
ヒマワリ、ひまわり、向日葵・・・ソフィア・ローレンが激泣いてた。

虚を突かれた、油断ならん、お前ら北朝鮮か、
川面の青い一枚ガラス、瞬きの間に横切った小鳥のストロボ、
それは一流ホテルの警戒燈火なのだ。
見上げると高速道路が空を隠している。その天を渡るベルトコンベアを
 製品の箱のように車が流れているだろう。猫や犬は知らないだろう。
 想像もしまい、孤独も知るまい、
 しかし、自分はその流れに一緒に乗って、まるで岸壁の高みから覗き込み、
 また流れとは逆向きつまり遡上して都市の全体を航空写真として知ることもできる。
 だのに川はもう自分をその一部としてゆらめきに抱き溶かしながら止まろうとはしてくれない。


(最後)自分が川を流れてきた灯篭だったことを知る。
じゃ、あの幾たびもの変身はなんだったのか?蔭のゆらめき・・・
あの「精霊流し」や。
万感の思いで来し方の上流を振り仰いで・・・あの渡しの側の砂利の川原で女房や子らが
ナス、ニンジン、ホウズキ、マッカなんか野菜や果物を
載せた舟に手を合わせ拝んどった。
セイタカアシが隙間無く高い壁を作って果ても無く続いていた。
水辺の自分と今生とを遠く隔絶させて鬱蒼と密生していた。
天と地を流れる大河と呼べるほどではないが
水は地中を嫌って川となり、此の世とあの世のかけはしとなり、
こんなワシのちっぽけな命さえ無視もせず弄ぶ風も見せずに死後の旅の案内をしてくれた。
旅の街で自分は異質な存在であり、気力も充実して・・・そのことはとても心地よかった。
淀川の上流から・・・天の川のかささぎ橋,七夕伝説の七夕の夜か、
逢瀬のために、かささぎが羽を広げて橋をかけ二人を逢わせたと言う橋のたもとから 
五色の紅、白、青緑、黄、黒の竹笹に絡むような短冊飾りに送られて
天の河原を追われて故郷を捨てたわけです。いつでも帰れると誤解していました。
生涯もう二度と会えないと審判をくだされる真の別離でした、
別れという言葉に見いだされる美意識に酔う間もなくて、
祭り化された相当の必然性をもった再開の約束の軽い別れではなかった。
そういえば、おいわけ橋で手を振〜た歌、その橋は二度とわたらないという意味だった。
決して再会せず忘れず、
流れに翻弄された果てに此処を終焉の寝間と定める。やがてその時を迎え、
死は完結する。
客観的にというか、自分は精霊舟やったか・・・でも本質的には実体、
空(くう)ではないのがせめてもの救いか。
潔く毅然として死を受容するために煙と灰になり皆とともに循環する。
空の星には決っしてならない、逃れられない星の上に残ることになる。
悟りの世界つまり彼岸へ向かう橋、橋げたの上から現世の顔、顔、のぞいてる。
灯篭船の帆は倒れ波に沈んでいった。
そこには「淀川源次」と滲んだ墨文字が浮かび揺れていた。
川の渡しの郵便屋です。good by 死んでしまってスイマセン。












 第5章 安治川とともにエピローグ

水の都 大阪。 
水は白雲をのせて流れてる筈、
高速の上を車も流れてる筈、
川面を這うように流れてきて足元の橋の下にズルズル吸い込まれてゆく。
橋の上を幾人か、かわるがわる立ち止まり眺めては立ち去ってゆく。

水都大阪の大川は旧淀川で、かつては淀川三十石曳船の往来で賑わった。  
生産・流通・消費の河でもあった、
淀川舟下りやヨシ原や舟唄で長閑な風景の川でもあった。
中之島の辺りには各藩の蔵屋敷が並び、運んできた昆布を降ろす北前船、
米相場の先物取引に活況した時代も。

蔵屋敷も今は皆無となり、銀行、図書館、公会堂、市役所、
林立するオフィス・ビル、高級ホテル、美術館、会議場、科学館まで、
そこは、NANIWAのインターナショナル、政経文芸学のヘソ、
Osakaの活力の重心であるNakanosima World。

土佐堀端にレトロな緑のツタのラインが現代から流離して、
そう遠くもないのに先は掠れてゆく、憂い。
川面に魚鱗の影がきらめく、目撃と同時に見失う。
あとに残る郷愁。
土佐堀の波は重い。
たゆたゆと湾から登る風に押されて、
都の下腹へ押し返され胸の裏側まで渦巻いて上がって来る。
混濁の底の厚いヘドロの上に淀川から漂い着いた砂を薄く積もらせて
そこに埋もれているのは大阪の書である。
それの揺れてひらめくページを拾い読み・・・関西はパイオニア
・・・これからもかな〜。
中之島最西端の地、端建蔵橋(はたてくらばし)と舟津橋(ふなつばし)とを両翼にして
波除壁か羽根撞きの丸い玉のように少しだけ顔を突き出してある。
この地を21世紀の難波の津と呼ぶ(嘘勝手に)。
8世紀、命がけで大海を渡っていった遣唐使船、
その昔の難波津はもっとこの上流であったが、
この地に今立って流れの広がりに目を奪われると
古代の葦の原や波間の航路の道しるべのみおつくしが点々と並んで
悠久の光景に身を包み込まれてしまいそうになる。
ナニワの象徴的シンボルである大阪市のマーク澪標(みおつくし)の碑を
居丈高に此処の地に建立したいと思った・・・。
今、自分は戦わず無為にて、ただ伝戒の夢より醒めぬ流離の石枕、
渡海のための舟も将来品も準備すること能わずして
我は流浪の身の上・・・。
オウナ一人、視野から遠き風景画の隅の緑陰に点となる人影となり、
この町の四辻の陰に溶けて高架の壁に分離し難く染み付いた人型となり、
いっぷくの山水画の滝壷の飛沫もかからんとする狭地の庵の前の小川にナマズを狙って砂利の上に佇む一時。

え〜と最終章、
西へ残された流れは安治川となり、聴こえて来るワダツミのウタ、
海へ。




主人公抜きとなっても物語りは続く、
川が海で尽きるところからも水は旅を止めないのだから。
このあとの叙述の展開に危惧の念をいだいてるあなたへ、
人生が予定どおりいかないのは当たり前で、どんな変更もさほど気にせずに・・・
あとは、
生来の不精者でサラリーマン作家に成りたかった儚い夢の取り留めの無い寝言でもきかせやしょうと。
なんか「夢」という単語を我ながら使いすぎか・・・
・・・年取ると眠りが浅く今日あった事どもが夢にもう登場する。
老いるとうつせみの灰色の月夜の浜に夢が現実の砂を波に孕んで
それは一晩中続く耳鳴りとなって・・・
と言いながら
陸から見えなくなる位遠くまでインターネットの海へ御招待致しましょう。
インターネットのせいで、学識・教養などにより比護されてきた人々、
その社会階級を色づけして飾っていた権威は低落した。
時間と手間をかけて情報を調理して得られた結論、そんなものは珍重されない。
サラリーマンの積極性と無責任は紙一重だもんな、
解決するのは能力に拠らず、いかに他人のせいにするかの手練手管に秀でること、
職業は泥棒とは?ゲームよ。一般人をバカにする問答の氾濫、
受け売り、切り貼り、省力じゃなくて省略。
省略にも限界がある。
IF構文は誰にでも容易に作れる。
その条件に使用されるフラッグや等号も適当で良いが、
バリュー値を決定するのには難儀する。
またIF構文だけ作って他人に偉そうに押し付けとるで。
ITインタネット用語も3文字で足りなくて4文字化している。
そうして挙句の果てに他人の手紙の盗み見、違法コピー、   
信用の無い画像・文章、安物の認証マーク、あてにもならんけん。
おまけに応答遅い、殺意、胃破ける、脳線切断。
なんかモノを落としたか置き忘れてきたか不安です。
小銭入れなら探す指先に安堵の感触を求めるだけで済むが、
インターネットの電磁ポケットに一旦気も無くほり込んだら
もう所在も痕跡も確認不可。
早速検索、ヤホー、たった一つの検索ボックスにほぼ天才プログラマーさんたちが
知力を結集して完成させたトップ画面に・・・keyword・・・デンデラリュー・・・と。
ときには鉛のように重たい画面に眼球が情報の表面張力により
はりつけにされて球面の全方向に引っ張られる。
戦々恐々インターネットに殺される・・・か、
でもインターネットの方が大人の社会よりも虚言・虚飾・虚偽とか随分少ないようだ。
何十個ものハンドル・ネームを使いこなして生きて行けばいい。
昭和の御世にはテレビ、ラジオが親子断絶を助長するものであると言われていた。
現代のケータイなどIT機器はどうなのか。
人間関係の根幹をなす実存の裏打ちはそのタガをはずされた。
液晶の点々の集合たる人物・文章・画・イラストなんかで心が満たされてる皆に驚愕。
なんか理解不能な凝り性仲間がグループ化して常時連絡、写真交換、ブログ・ツィート日記なんてので
なんかそこだけ近密さが増しているとか聞いた。
親子関係にしろ、どうせ一人っ子同士の友人、仲間関係の形成された惑星群が
幾つも幾つも太陽系から銀河系から大宇宙みたいな風に広がって
天網恢恢なエネルギー・ネットワークが存在している。
主人を喪ったブログを知ってる、そうなると残されたブログが
以前にも増して輝いて見える、
文章はその主人の一生分の金糸銀糸で織られた衣装を纏う、
ね、そうでしたよ、青森の工藤さま、やすらかに。

自分のブログに自らコメント、
自分のツィッターを闇夜に盗み読み、
多重人格の枝葉の先に花実の虚飾を一杯ほとばしらそう。
白いブランコ、白いギター、まっ白ページ、英語か・・・
GUTSガッツ石松  ok牧場
犯罪をほのめかしたり、夢や誹謗中傷や気どった厭世観など書き込む。
オプション選択して潜在意識へコピー、DNAに貼り付け、
忘却の淵から潔く捨てた筈の夢をゴミ箱へドラッグ&ドロップ
敵はインターネットにあり! メールに化けろ  
送信ボタンは自動的に押してやる、簡単だ、得意だから。
宛先は化け物、おまえ自身にしておくよ。
探査機の行き先が遠い星であってもそれは地球つまり自分自身の解明のため。


だるい時、周りからの刺激、トリガー注入によって活発化する自己。
しかしながら、周りから没していれば、
インターネットで同窓会や故郷の地図を開いたりしている。
G地図、M地図、Y地図、地図を広げただけでは只の馬糞紙。その上に
よ〜けのアイコン立ててさ、その吹き出しは流れとぶ絵の具、
そこに文学、いや恐れ多い、文字を埋める。何かを伝えたいというわけではない。
とにかく埋めたい、つづりたい。
白い部分の残った絵画は幼稚園児の絵だ、
試験の答案でもカラの解答欄なんて潔しとはしない、
マチガイのうわ言のような答えであろうが空想して、
世界一食べにくい料理は?答え=ハンバーガー・・・に マチガイナイ!
とゴリゴリ書き尽くす。
う〜ん、満足、満足 そして達成感、
敗北の宣告の延期・・・数日後、落胆、後悔、逆恨み、脱力、
しかし少年よ大志を。努力、努力。責任感や義務感ではない、
稚拙な未来予想の反動が一種の不安を助長する津波のように押し寄せ
威嚇には反発する性質なのに忍従できた自分自身を続けえたのは
その脅迫観念による支配によってであったことを自白します。

どやどや、結局は根無し草のジプシーや。
仮装空間はゴメンだぞ、
結局は即時にリセット復旧・復活、ただし忘れまじ。

50にして天命を知る・・・とは?
もいちど・・・をしてみたいと・・・天が与えた仕事何?
コンピュータ・プログラマー・・・今や死語。
プログラミングも大工や左官ぐらいの習熟・専門性が昔はあったような・・・
今はバッタ屋の口上ぐらい軽い簡便作業でドラエモンの四次元ポケット化している。
50はスッ〜と過ぎたな〜歳だけ重ねたよ〜。プログラムにだって寿命があるし、
その気持ちは筋肉の残ってるマグマの量を慎重にも不安気に量り・・・
呼べど答えぬ老いぼれパソコンのターンアラウンドを待つ、老いぼれに共感して
自分の血肉がICに貼られたテツロー回路に思えてくる。
間もなく落胆と自嘲の波の上で老人を一人乗せて揺れる古ぼけたボートと化した。
替わりに老いとともに簡略化の欲求は強まる。
選別と単純化を求めてくる持ち球に残っている色気。
そして辿り着く「一」、一は大地、
オッパイやケツよりもこんもりと枯れ葉の載った土。
植物図鑑や山岳写真も買ったりした。
買った数日の夜はその耽美なページをめくり、ためつすがめつ観ていた。
とある日以降は本棚に合体し癒着して此方を向いて背表紙だけが存在してる。
里山暮しなんて無為に過ごすのも一日が限界か。
ヨットで世界一周へ・・・出発した港の出口で沈没。
要らぬ興味も捨てて、しがらみとかも鼻クソ、とうに逃れた。
読者の方には、視野狭さくな見方、
メンタル・ヘルスが必要な心の病だろうと思われても仕方ありません。
心身症ですか?あなたは誰?機長の片桐です。
古今東西の賢者様たちも結局は運命論を口にしたりしているでしょう、
運命ですか?あなたは誰?スミマセン、鶴丸OBです。
そんな因果な過去の結末が摂理の妙というものでした。
過去の自分との出会い、人見知りの恥ずかしさ、過去の自分が他人化してる。
凡人ならそのことに習って生き方の方程式の解法などに挑むのはやめよう。
直感的な働きしかできない脳味噌の脳足りんなんだから。
選挙に立つ。自分を自費で宣伝する滑稽さを若い頃は笑った。今は笑えない。
いくつかの公式を丸暗記しとけばなんとかなるだろうという愚考を責めないで。
1+1=2? ありえない!
「1」が二つ、同じものが二つ存在するわけない、
論理的と形而上学は微妙に違う・・・頭ついてこん、気にしない気にしない、
セレブも賢者様たちもトイレするし、ABC48も御尻は手で拭く、
宇宙の無限のことを解説できる人間はいないでしょ、
まったくの暢気な俗人の我々と同程度のクルクルパーなのだからです。
考えに耽ってる間に自分が自分でなくなったような気がします。
なんだか自己を客観視できる境地に到った感覚です。
でも錯誤、完全なるペッタンではない、いや誤解です。
なぜなら、その自覚こそはアルツハイマーの一つの症状の出現だから。
今日は調子わるいな〜とか近頃は口に出さなくなったのは
老化現象だと自覚があるから。老化は病気ではないし。












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